浄土真宗本願寺派 奈良教区 青松山 法円寺のホームページで御座います。法円寺は、奈良県の東部(奈良県宇陀市室生下田口)にあり、三重県名張市に隣接しています。「日本むかし話」に出てくるようなお寺で、昔の伊勢本街道が近くを通り、虫の声・風の音が聞こえる静寂なお寺です。

新着情報

2020.07.08
ホームページが公開されました。

法円寺の歴史

延徳三年(1491年)のころ、本願寺第八世蓮如が飯貝に留錫中、その教化を享けて真宗に転じた。原山の恝道場と称し、本善寺に属していた。
承応二年(1653年)7月、法幢の時に一道場を今の地に起し教化普及した。法幢は法務を宝雲に伝え智昇の時、正徳四年(1714年)二月十九日に法円寺の寺号と木仏尊像が本山から許され下賜された。
享保十九年(1734年)十月二十五日、天誅組主将の祖先である中山大納言兼親卿の位牌を当寺に納め、また中山大納言の姫君が伊勢参宮の途次急病になり、この原山で死亡したのち安永二年(1773年)中山家により梵鐘が鋳造され寄進された。その墓地付近にお地蔵をお祭りしている。
内 陣

建 築

安永五年(1776年)二月秀峰の時に本堂を再建する。
喚鐘は延享三年(1745年)二月十五日から村家々から少々ずつ日々孤米志で寄進せしめ宝暦二年(1752年)九月十一日に出来たものである。
親鸞像宝前の輪灯は延享四年(1747年)十一月二十五日に納めたものである。本堂前の石灯は明和元年(1764年)によって建てられ、本尊宝前の鉢は安政七年(1860年)正月に納められた。石造水鉢は慶応三年(1867年)八月にすえられた。
現在の寺構えは、この時代に出来上がったという。明治九年(1876年)に大改修をし、昭和50年(1975年)に改修をした。本堂の屋根の正面には中山家の紋章【花山院家 杜 若 菱(かきつばたびし)】がある。
山 門

仏 像

智昇の時、正徳四年(1714年)二月十九日に法円寺の寺号と木仏尊像が本山から許され下賜された。画像には親鸞・蓮如・明如の各像があり、すべて絹本着色である。安政六年(1859年)には九条実公650回遠忌に寄進をしたので、九条家寄付 浄土三部経訓示を賜わった。

法円寺の年中行事

年中行事として、1月1日は修正会、3月は春季彼岸会、4月中に春季永代経、8月はお盆法要、9月中に秋季彼岸会、10月は報恩講並びに中山大納言兼親卿の命日に法要、12月31日は除夜会です。

法円寺の永代供養墓

有縁・無縁惣法界墓地(うえん・むえんそうほっかいぼち)
当寺院は、大正初期の墓石に刻まれている、有縁・無縁惣法界の言葉の意味は倶会一処(極楽浄土でみんなで一緒に会いましょう)という事で理解しています。山寺で段々の一番上が歴代住職のお墓となっており、その横に永代供養墓があります。墓石は観音開きなっており、お骨は合葬し自然に戻る様に土質になっております。

真心のお寺 法円寺

ページの先頭へ